日本で私のようなおしゃべり人間が損をしがちなのは、日本人の言語習慣に深く根ざした現象であろう。日本の人間関係では「言わなくても察する」という非言語コミュニケーションが重視される。これは、農耕、漁労などの共同労働を通じて地域の人々が皆気持ちを通じあっていたムラ的社会の心情が今も残っているからだろう。そこには気配りや思い遣りなど捨て難い美点もあるが、それらが物事を明確に処理すべき場にまで持ち込まれ、国政の重要事項に関する駆け引きが政治家同士の腹芸で決まるなんてことは感心しない。
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その点で欧米は、国情による多少の差はあっても一般に日本に比べればずっと言葉社会である。アメリカの大統領選挙でテレビ討論、つまり言葉による戦いが重視され、そこで話された言葉が一回ごとに支持率に反映するのを見るとつくづくそう思う。この違いは家族についてもあって、日本の家族はあまりしゃべらないで、日常的な接触を通じてお互いの気持ちを察しあい、非言語コミュニケーションに頼って人間関係を処理する傾向が強い。もちろん家庭は他人と関わる外の社会とは違い、私的な共同体なのだから思い遣りや気配りの役割も大切である。しかしそうした非言語コミュニケーションが十分に機能するためには条件がある。それは黙っている相手の気持ちを察するにはある程度長い接触時間が必要だ、ということだ。日本の昔の住まい方はこの条件を問題なく満たしていた。子供部屋が稀であった時代には、家族は皆茶の間に居て夕食から就寝まで接触しつづけていたからである。しかしだからと言って「昔はよかった」というふうに後ろ向きに考えてはならないだろう。